東京都知事として、またそれ以前の政治家、ジャーナリストとしてのキャリアを通じ、小池百合子氏は様々な面…
宝塚宙組「海ゆかば」歌詞の意味と取りやめ理由を独自考察!2つの歌詞バージョンの違いと歴史的背景まで


宝塚宙組公演「BAYSIDE STAR」で使用されていた「海ゆかば」は、実は1200年前の万葉集から生まれた楽曲で、「大君(天皇)のために死のう」という意味を持つ歌詞が物議を醸し、2025年9月24日に歌唱取りやめが発表されました。
この判断には、戦時中に軍歌として使われた歴史的背景と現代のエンターテインメントにおける価値観の違いが深く関わっています。
多くの人が「なんで急に取りやめになったの?」と疑問に思うでしょう。実は筆者自身も最初は「古典的な楽曲なのに」と感じました。
しかし調べていくうちに、この楽曲が持つ複雑な歴史と現代における受け取られ方の違いが見えてきます。

この記事では、「海ゆかば」の歌詞の意味から歴史的経緯、そして今回の宝塚の判断まで、読者の疑問を徹底的に解明していきます。
この記事でわかること
- 「海ゆかば」の正確な歌詞と現代語での意味
- 万葉集から軍歌への1200年の変遷
- 歌詞に2つのバージョンが存在する理由
- 宝塚宙組が歌唱を取りやめた背景
- 現代における軍歌vs鎮魂歌の議論
- エンターテインメントでの歴史的楽曲の扱い方
宝塚宙組「海ゆかば」歌詞と意味を徹底解説:なぜ取りやめになったのか?万葉集から軍歌への1200年の歴史と現代の議論
本日ナッツ類さんと初観劇してきましたー!!💃✨
— やぎさと (@yagi_30) September 20, 2025
本当にこんなトンチキな作品をいいんですか!?って思ってたんですけどめちゃくちゃ再現度高くてびっくりしました…😂
BAYSIDE STARもめちゃくちゃ面白くてこんな景気のいい最高の作品をありがとうございます!って気持ちでいっぱいです🙏✨ pic.twitter.com/IEa9CHlmX8
宝塚宙組が歌っていないのですが、どんな歌かは下記動画をお聞きください。
「海ゆかば」の歌詞と現代語訳
「海ゆかば」の正確な歌詞と意味を理解するために、まずは原文と現代語訳を見てみましょう。
歌詞は、奈良時代の歌人・大伴 家持(おおとも の やかもち)による『万葉集』巻十八「賀陸奥国出金詔書歌」から抜粋されているのが特徴です。
原文と現代語訳
海行かば 水漬(みづ)く屍(かばね)
山行かば 草生(む)す屍
大君(おおきみ)の 辺(へ)にこそ死なめ
かへり見はせじ (長閑(のど)には死なじ)
現代語訳:
- 海に行けば:水に沈んだ屍となっても
- 山に行けば:草の生い茂る屍となっても
- 大君(天皇)のためなら:喜んで死のう
- 振り返らず(後悔せず)

驚くことに、実は歌詞は2種類存在するという事実。
最後の1行が「かへりみはせじ(振り返ることはしない)」と「長閑には死なじ(のんびりと死ぬことはしない)」で異なるんです。
2つの歌詞バージョンの詳細
バージョン1:「かへりみはせじ」
- 出典:『万葉集』巻十八「賀陸奥国出金詔書歌」
- 意味:「振り返ることはしない」「後悔しない」
- 感情:決意の表れ、前進への意志
バージョン2:「長閑には死なじ」
- 出典:『続日本紀』第13詔「陸奥国出金詔書」
- 意味:「のんびりと死ぬことはしない」「戦場で勇敢に戦う」
- 感情:積極的な戦闘意志、勇猛さの表現
万葉学者の中西進は、大伴家が伝えた言挙げの歌詞の終句に「かへりみはせじ」「長閑には死なじ」の二つがあり、かけあって唱えたものではないか、と推測しているという指摘が非常に興味深いです。
なぜ2つのバージョンが存在するのか
これは本当に面白い話で、同じ家持の作品でも、記録される書物によって微妙に違うんですね。
『万葉集』は歌集としての記録、『続日本紀』は公式史書としての記録。つまり、公的な場面と文芸作品としての場面で、若干のニュアンスの違いがあったのかもしれません。

個人的には、「かへりみはせじ」の方がより文学的で内省的、「長閑には死なじ」の方がより戦闘的で外向的な印象を受けます。
この微妙な違いが、後に軍歌として使われた際の解釈に大きな影響を与えたと考えられます。
楽曲の成り立ちと歴史的背景
「海ゆかば」は昭和12年、信時潔によって作曲されたのが始まりです。実はこれ、出征兵士を送る歌、戦果発表の冒頭曲などとして使われ、戦時中は盛んに歌われ「準国歌」といわれたほどだったんです。
原詞は大伴家持の万葉集にあり、信時潔が作曲した荘重な調べの傑作です。
太平洋戦争末期には大本営発表等での準国歌また玉砕報道の鎮魂歌(レクイエム)として放送されたという複雑な経緯があります。
竹田恒泰さんの解説動画もありましたので、時間があるかたは御覧ください。
万葉集から軍歌への変遷
正直、これはすごく複雑な話なんですが、もとは天平21年(749年)陸奥国小田郡(涌谷町)から日本始出の黄金が、東大寺大仏鍍金のため、聖武天皇に献上されたことを祝った歌だったんです。

つまり、元々は「金が見つかって嬉しい!」っていう慶事の歌だったわけです。
それが1200年後の昭和時代に軍歌として生まれ変わったって、なんかすごい皮肉ですよね。
宝塚宙組での使用とその意図
BAYSIDE STARでの演出
宝塚宙組公演「BAYSIDE STAR」では、戦後80年を意識した「鎮魂歌だ」という意見があります。
一方で、「曲の意味が分かっていて(出演者に)歌わせているのか」「"軍歌"はエンターテインメントにふさわしくない」などといった批判も上がっていたという状況でした。
筆者が宝塚ファンの友人から聞いた話では、実際の演出では非常に厳かな雰囲気で歌われていたそうです。しかし、やはり現代の観客には様々な受け取り方があったということですね。
なぜ今回取りやめになったのか
これは、同楽曲に対して様々な意見が寄せられたことを受けて、同社で熟考の結果決定したものだと発表されています。
実際のところ、宝塚歌劇団としては非常に難しい判断だったと思います。芸術作品として見れば美しい楽曲ですが、現代のエンターテインメントとして適切かどうかという議論は避けられなかったでしょう。
「海ゆかば」をめぐる現代の議論
軍歌か鎮魂歌か
これは本当に興味深い論点なんですが、大本営発表や出征兵士を送る際に使われた「軍歌」と認識する者と、戦没者の遺骨を迎える際にも使われた経緯から、「鎮魂歌」と認識する者に分かれているんです。

個人的には、この両面性こそがこの楽曲の複雑さを表していると感じます。
戦争中は戦意高揚のために使われ、戦後は戦没者を弔うために使われた。同じ歌でも、時代や文脈によって意味が変わってしまうんですね。
エンターテインメントにおける価値判断
宝塚というエンターテインメントの世界で、このような歴史的背景を持つ楽曲をどう扱うべきか。これは非常にデリケートな問題です。
一方で「芸術に政治を持ち込むな」という意見もあれば、「現代の価値観に合わない」という意見もある。どちらも理解できる立場だと思います。
まとめ:宝塚宙組「海ゆかば」なぜ中止?歌詞の意味を解説
宝塚宙組の「海ゆかば」歌唱取りやめは、1200年前の万葉集から生まれた楽曲が昭和時代に軍歌として使われ、現代のエンターテインメントでその歴史的背景が問題視されたという、非常に複雑な経緯を持つ出来事でした。
歌詞の意味は「大君のために死のう」という忠誠を表すものですが、その解釈は時代と共に変化してきました。宝塚歌劇団の判断は、芸術性と現代の価値観のバランスを取る難しい決断だったと言えるでしょう。
この問題は、文化芸術における歴史的背景の扱い方について、私たちに重要な議題を提起しています。
覚えておきたいポイント
- 「海ゆかば」は万葉集の大伴家持作
- 歌詞の意味は「天皇のため死のう」
- 2つの歌詞バージョンが存在する
- 昭和12年に信時潔が作曲
- 戦時中は準国歌と呼ばれた
- 軍歌と鎮魂歌の両面性がある
- 2025年9月24日に歌唱取りやめ
- 宙組公演「BAYSIDE STAR」で使用
- 様々な意見が寄せられ判断変更
- 現代エンタメでの歴史楽曲問題を提起